しばらく、私のうつ病遍歴を、自分の振り返りのため、という目的も含めて、記してみたいと思います。
私が新卒で就職した某メーカーでの法人営業にて、ある日直属の上司A氏に「おいアーニー、行くぞ」と言われ、営業車に乗りました。運転も何故かその上司だったと思います。得意先周りに行くのか、と思っていたようでした。その頃の私はほとんど記憶が無いのです。行き先を告げられず着いた先は旧帝大医学部附属病院でした。そして診察を受け「うつ病」と診断結果が出て、治療は紹介された、駅前のクリニックに仕事休みの土曜日に通う事になりました。その頃どの程度、自分がおかしかったのか、覚えていません。ただ、その診察結果は、皆には伏せていました。
当時の私は、出来るだけ営業成績を上げようと、出来るだけ小売店を周り、繋がりを作ってシェアを拡大出来れば、というプランを作り動いていました。早い時には朝7時位に出社して、色々まとめ準備して、営業車で近県を周り帰社は夜21時過ぎ、そこからオーダー入力したりで22時くらいに退社が当たり前になっていました。昼間の移動距離も具体的な数字は、入院中の私の手元にないですが、結構な距離になっていたと思います。それでも年々進む客離れで、数字は伸び悩み、毎日日本全国の営業成績が端末から見られたのですが、中間より下くらい?をウロウロしていました。それだけの時間と手間をかけていた事を、隣部署の長のB氏が見ていて「ウチの部に来いよ。持てる数字3倍になるぞ」としきりに誘ってくれていました。
当時のその支店では、営業担当それぞれが受け持つ小売店を、地域と業態毎に分け、それぞれの営業スキルと経験に合わせて割り振られていました。その「数字」=「売上高」が多い者が、優秀社員、という訳です。その会社は、ある商品のシェアが全国的に高い会社で、所属部署は、そのメイン商材を扱う部署でした。かたや、もう一つ規模の小さな部署があり、その商品群の全国シェアは、かなり小さなもので、世間的には「えっ?A社さん、それも作って売ってるの?」というレベルでした。年の近い先輩は、私がB氏に誘われているのを見て、「行っちゃダメだぞ、あんなの売れないから。ウチはこの商品の会社だから」と残るよう助言してくれていました。その先輩は、私がうつ病という事は知らないようでした。
その頃、お付き合いしていた年上の助産師さんがいました。歳上で、結婚したいと言ってくれていました。東京からその地方との往復を飛行機でしてくれて、毎月一度週末に来てくれていました。うつ病の話もしました。そして入社一年目の終わり頃、関東の大学附属病院を辞めてきたと言って、少しの間だけだからとのことで、私の部屋に住み始めました。副師長?をされていました。学生時代、まだ私も関東にいた際には、何度か職場の後輩さん達と私の友人達との合コン的な飲み方を催したりしていて、後輩さん達にも好かれる良い方でした。当時私たち新人3人と、歳の近いM先輩で、その彼女も一緒に私の部屋に集まりプレステ2で遊んだりしていました。数週間経った頃、その話を上司が知り、その部屋は借り上げ社宅契約だったため「単身向けだから帰ってもらえ」と言われ、また離れ離れになりました。その彼女は、うつ病の私を支えようとしてくれていました。
続きはまた明日以降アップさせて頂きます。お読み頂きありがとうございました。
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