わたしは禁煙中です

禁煙/禁煙セラピー

私、禁煙歴13年と7ヶ月くらいです。

自慢するつもりではないのですが、2023年10月10日現在の今日で、ギャンブルとしてのFXをやめて、661日目です。断酒は入院より前からで、しばらく飲んでいなかったはず(養命酒もやめてたかな)なので、700日くらい経っているはず。やめ続ける生活が続いています。

自助会でも、「依存しやすいモノからは遠のくべき」という意見の方もいらっしゃいます。ですが、私はコーヒーからは遠ざかれないように思えています。現在、うつ病の治療薬として、ノリトレンという薬を最大量飲んでいます。おそらくそのためと思いますが、コーヒーやコーラなしでは、日中朝から一日中眠くて何も考えられないくらいです。飲み始めて結構日が経ちますが、慣れた感、はないように思えます。なので、朝イチの自分のルーティーン行動としては、コーヒー(粉の安インスタントコーヒー)を溶かすためのお湯用ポットに水を入れて電源スイッチを入れる事からはじまります。と言ってもワンルームの狭い部屋ですし数秒で出来る事でしかないですが。しかし最近ある出来事で、昔のルーティーン行動を思い出す事がありました。それが、タバコです。私は2010年3月から禁煙しています。13年7ヶ月、日数で言えば4971日ほど禁煙している状態です。

先日ある所で、駅前の喫煙所のそばを通りました。人が多く、普段は避けている喫煙スペースのすぐ横を通りました。すると、なんだか懐かしい「ニオイ」を感じて、いっきに20年以上前の光景?が浮かんだのです。私は、2010年3月までタバコを吸っていました。当時は今のような電子タバコはなく、紙巻きタバコだけだったように思えます。シーシャは中東レストランにあったかな?

でも、転職の内定をもらっていた職場では喫煙所が敷地内にない、とかで、慌てて禁煙をはじめた所でした。実際には、2月くらいから始めていたものの、新婚旅行で行った先で、どうしてもメンタルが不調になり、当時吸っていたマルメンを買って吸って落ち着いたため、その旅行中は吸い続けて、帰国後に、あらためて、また禁煙を始めました。

私がタバコを吸い始めたのは、学生時代にバックパッカーをしていた時でした。それまで、走る系、特に長く走る事や、短時間でスプリントを繰り返すことに自信があり、そのおかげ色々な役割をやらせてもらっていました。心肺機能自体にも自信がありました。海がある国に行く時にはシュノーケル用道具を持って潜るのを楽しみにしてました。その心肺機能を失わせるタバコに手を出す気はサラサラなかったはずなのです。しかし、当時進みかかった人生を曲げてでもやろうとしていたある事に挫折し、迷い、もう走る事も一生無いと思って旅に出た際、各国の各地で色々多種多様なタバコがあり、それを介してコミュニケーションが始まったり助けられたりして、一気にスモーカーになりました。(就職後、また社会人チームにて競技再開した際には、練習後にタバコ吸いながらチームメイトと談笑やミーティング、なんていう事がある時代でした…もちろん息がキレやすくなってました…バックスなのに吸うべきじゃなかったと反省しながら?吸ってました…)酒より安くて、朝からでも吸えた(吸わされていた?)ため、いつまタバコと共にいました。当時、長く禁煙する場所といえば搭乗中の飛行機内くらいで、目的地につくとまず目指すのはイミグレではなく、喫煙所でした。格安チケットでお世話になっていた中華航空線が多かったため、トランジットの台北空港と香港空港の喫煙所には目を瞑っても辿り着けそうなくらい行きまくりでした。旅中、長距離バスや電車での移動中や、街中屋台食堂、ドミや安宿の喫煙所などは格好の出会いの場でした。その後の協力隊でのベトナム時代も、ホームステイ先や仕事上はもちろん、よくある公安にワイロをせびられる際(バイク隊員だったので、公安に目を付けられたりしていました…)には、「まぁ1本どうぞ…」と、「それ用」に取っておいた新品の高級タバコを、開封して渡したり、そのまま箱で渡したりで助かったり?した事も多かったです。話が少し戻って、90年代後期の当時、今では考えられない事ですが、学校内の教室の前のベンチにも灰皿がありました。ヤンキー学校でもなく、都内中心部にある大学でも、です。その灰皿の脚部には、その学校のイニシャル「◽️」がバーン!と入っていました。その頃使っていたジッポーライターの一つも、そのイニシャルや校章入りのものがあり、生協ではそれらや、100円ライタータイプのものもありました。友人のサークル部室は、ケムリでモクモクの所もありました。その頃は、駅の各ホーム1ヶ所くらい喫煙所があり、まずそこを目指して移動してました。就職後の社内でも、地方支店の事務所では喫煙者上司に誘われて所内で吸っていたり、営業車も喫煙者用禁煙者用で別れていました。レストランや飲み屋やカフェ、雀荘など、あらゆるところで吸えていました。でも、自分の部屋では、喫煙者の同僚たちが来る時以外は、吸っていなかったかな?でも当時の彼女は看護士さんでしたが、食事時などに一緒に居ながら吸っていても平気な風でいてくれはしました。そんな時代でした。日本に戻ってくると、タバコの種類も限られていますし、少し高いしで、学生の一時期「DRUM」という刻みタバコの葉(イギリスの会社製?)と巻紙とフィルターで、1本1本手巻きタバコを作って吸う事にハマったり、葉巻に手を出してみたりもしました。美味しく、楽しかった思い出ばかりです。職場でも、自分がいた衣料品メーカーや、システム開発現場、機械製造工場などでは、喫煙者同士のやり取りが、面白くまた助かったりしていたように思えます。

転職による禁煙を始めたばかりの頃「禁煙セラピー」という本の「吸わなくても良い」という考えに、かなり衝撃を受けた覚えがあります。そして、敷地内でタバコを吸えない某市役所に転職し、いま思えば担当先輩のパワハラに苦しみ、予算処理終わらない中で、大量の無駄な書類のコピー中にその庁舎の窓から飛び落ちようと思い詰めるほど追い詰められたわけです、その時に禁煙を始めたばかりであったことも、もしかすると影響があったのかもしれません。転職、転居など以外に結婚や昇進などでも、うつ的傾向に向かう事もあるも目や耳にしました。禁煙によるストレスもあったのかもしれません。しかし当時、またタバコを吸おうとは思えませんでした。それほど「禁煙セラピー」という本のチカラが大きかったように思えます。

長くなりましたが、はじめに書いた、通りかかった喫煙所横で思い出されたニオイの記憶は、台北空港の喫煙所でのニオイと思いました。新宿西口でしたから、台湾からの旅行者の持っていたタバコのニオイだったのでしょうか?なんとなく香ばしい香りでした…そんなニオイの記憶も残っているものなのですね。最近どなたかが、「パチ屋のニオイで思い出す」と仰ってましたが、ニオイの記憶、残っているものなのですね。今日現在、またタバコを吸いたい、という欲求はないですが、もし、寿命があと1ヶ月、という余命宣告を受けて、喫煙がその寿命に関係ない、という状況だったら吸うかな?それともマインドフルネスの方が、その予想されうる快感(?)に勝るかな?どうでしょう?

今回のように、何の拍子に以前の記憶が蘇ることがわかりました。4971日、約5000日やめていても、です。その間、スリップは一度もないのに、渇望もなかったのに、です。おそらく、FXはもっと強い記憶が残っていると思います。飲酒はそこまでではないかもですが、やめる宣言をした以上やめています。しかし、この決意より強いチカラが、脳の中に眠っているだけなのかもしれません。目を覚まさないように、もし目を覚ましそうになっても、再使用しないよう、いま、そのための準備をし続けたいと思います。

駄文が、えらい長くなってしまいましたが、お読み頂きありがとうございます。

アーニー

ギャンブル依存症とうつ病からの回復を目指しています。2021年12月から、初めて病院の精神科閉鎖病棟に入院していました。2022年10月末に退院し、通院患者としてお世話になり続けています。
うつ病は約20年前から、ギャンブル依存症としてのFXや金原油等の先物取引、仮想通貨のハイレバレッジ取引は、2018年ごろからコントロール不可能になりました。GA等の自助会には2020春ごろに一度伺ったままで、2021年春から少しずつ通い、他行政機関でのギャンブル依存症回復講座プログラムのSAT-Gや、週一回ずつの中間施設への通所でも辞められずにスリップ(再使用)を繰り返し、家族と大切な貯金を肩代わりとして失ってしまいました。ここから回復出来るのかどうなるのか現在分かりませんが反面教師として何かの資料材料にして頂ければと思います。最近サイバーセキュリティ 分野に興味を持ち始めました。よろしくお願いいたします。

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うつギャンのアーニー/うつ病でギャンブル依存症で入院中です

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