今回は、うつ病ともギャンブル依存症とも関係のない話になります。ただ私が緑色が好きというだけの話です…
多くの方は「好きな色」が、あると思います。青や赤の原色や、淡い黄緑、深い紫色など個性的な色など。私は緑色が好きです。一時期、とても深く傾倒した時期もありましたが、今はそうでもなく、それでも、色付きのニットを一枚買おうか、とかタオルを一枚用意しよう、とかいくつかの選択肢がある際には、「良い緑色のものがあるか」が、第一チェックポイントになります。もしあれば、それが第一候補となり、なければ他のモノへ、と候補が移り、好みの緑色モノがなければようやく他の色を、と緑色にこだわってしまう事も、「たまに」あります。毎度毎回ではないのですが。そのため、一時期凝った「フワフワ触感のウール主混のネクタイ」は似たようなモノを何本も買ってしまったり、Tシャツが緑モノだらけになってしまった事もあります。いつからそうなのか、はっきりとは分からないのですが、私が幼稚園児頃?に、父が自家用車を買い替えようと準備していた事があったそうです。その頃の私は、眉唾物だと自分でも信じられていないのですが、「自宅のそばを通る自動車の排気音で車種を当てていた」そうです。ウソくさいですが、当時の写真には、ポリバケツサイズの入れ物が埋まる程のミニカーを欲しがり、足漕ぎクルマ?で片輪走行する程、自動車が好きだったそうで、父は私に「どんなクルマが良い?」と聞いてくれた際に、緑色のブルーバードSSSが良い、と言ったそうです。こんなクルマでした。↓
その頃から緑色が好きだったのか、自分では覚えていません。しかし、父の転勤のため、幼稚園〜小学5年制まで居た、ある地方都市を離れて関東に戻った?のですが、その頃には、その緑色のクルマが「恥ずかしい」と思ってしまっていました。車窓から見る車で緑色なんてほとんど見なかったからだと思います。自分で選ばせてもらったにも関わらず。
今でも、私はやはりミドリ色が好きなようです。自宅で夏に履いていたハーフパンツは、同色の微妙にバージョンの異なるアリーナのもの。この病院に来る前に買ったサンダルもミドリ。Tシャツも緑色のものがあり、全身緑色になる日が、週一回くらいあります。軍人みたいです。そういえば、小学生低学年時代には、戦車のプラモデル、タミヤ1/35MMシリーズに凝った思い出があります。タミヤニュースという小冊子を親に頼んで定期的に買ってもらった思い出があります。それも緑好きと関連しているのかもしれません。
緑色のモノが多いな、と改めて思いつつ上記の私の幼少期の事を思い返すきっかけにもなりました。あの頃の私は、このように長く入院する事になるなんて微塵も想像していませんでした。多くの依存症患者の方々もそうだと思います。なぜ私は今ここにいるのでしょうか。いつまでいるのでしょう。7月14日現在未だ確かな道はありません。どこに向かえるのでしょう。
コメント